2008年05月05日

メセナ・公共事業に頼るという発想を捨てた時に何ができるか

舞台演劇人会議発行の雑誌『演劇人』22号(2006年3月発行)に寄稿した「メセナ・公共事業に頼るという発想を捨てた時に何ができるか〜大阪の一サラリーマンの試み」の全文を以下に掲載致します。こちらで紹介したコモンカフェについては、主宰者本人が出版した、詳しい事業内容から運営マニュアルまでがそろった本が出版されていますので、是非味読することをおすすめ致します。




メセナ・公共事業に頼るという発想を捨てた時に何ができるか
〜大阪の一サラリーマンの試み〜

平戸潤也(ひらとじゅんや/SOHOワーカー)

 企業メセナで維持されてきた文化拠点が閉鎖された時、そこで行われていた活動をどう続けていったらよいのだろうか。そんな実験が大阪の地で続けられ、成果を出している。

 大阪梅田から十分ほど歩いた中崎町にあるビル。地下へ下っていく階段の途中に「さまざなま人によるさまざまな人のためのさまざまな居心地のさまざまな空間。さまざまなつなぎめがさまざまな方向へ向かったりすると愉しい。」と書かれた黒板がある。ここがコモンカフェの入り口だ。マスターが日替わりのカフェ・バーで、映像・音楽・演劇・文学・勉強会など日によってさまざまな企画が入れ替わり立ち代り行われている。飲み物の一定のノルマ(夜間で一万円)さえ果たせばよく、少ないリスクで自身の表現の場を持てる、共有劇場とも言える場所だ。コモンカフェができるまでの過程を追ってみたい。

[大阪ガスのメセナ 扇町ミュージアムスクエアの魅力]

 一九八五年、大阪ガスの旧社屋を改装してオープンした扇町ミュージアムスクエア(以下OMS)は、小劇場・ミニシアター・雑貨店・カフェレストラン・ギャラリーを備えた複合文化施設であった。

 劇場「フォーラム」はガス器具の倉庫跡を改装したものであり、 八七年に企画されたOMS芝居コレクションにおいて、遊◎機械/全自動シアター、プロジェクト・ナビ、自転車キンクリート、NOISEなど東京や名古屋の九劇団の連続公演があってから、OMSは演劇を核に進んでいった。南河内万歳一座、劇団☆新感線、リリパットアーミーといった関西を代表する劇団が成長する場であり、「扇町アクト・トライアル」という若手劇団育成企画もあり、若手劇団の登竜門としての機能も果たしてきた。普段演劇を見る機会が少ない人たちにも気軽に楽しんでもらうため、夏の平日夜八時四〇分から演劇公演をする「扇町夜遊びシアター」企画も実施。九四年からは「OMS戯曲賞」を創設し、大賞受賞作は翌年OMSプロデュースで公演を行い、公演批評を募集して批評賞の授与もするようになり、関西小劇場のメッカとして定着していった。

 だが、演劇なら演劇という一つのジャンルにとらわれない幅の広い活動にOMSの真骨頂がある。一階にあるカフェレストラン「STAFF」で「扇町TAKIN’ HEADS」という多彩なジャンルのトークライブを毎月実施。マスコミ関係者・放送作家・OMSスタッフ・学生などがボランティアで運営した。だがそうした一方通行のものにとどまることなく、「扇町Takin’ About」という参加者自身が語り合う参加者交流型のトークサロン企画がはじまる。会場もOMS内のレストランのみならず、扇町界隈のカフェ・バー・飲食店を巻き込む形で、地域タイアップ企画となり、ひんぱんに行われるようになる。新宿ゴールデン街で映画・演劇関係者が論争を繰り返し、そこで才能と才能とが偶然に出会い、そこから新しいカルチャーがうまれる。そんな伝説が幻想でしかない今この大阪でサロンは可能なのか。そんな問いからスタートしたこの企画は、ある決められたテーマについて、集まった人たちが語り合うだけのものである。演劇・自主映画・ピンク映画・インディーズ音楽・小説・ポエトリー・お笑い・哲学・現代美術・サブカルチャー・旅行など、さまざまなテーマのサロンが何百回と続いている。二、三人しか集まらない時もある。でも人数ではかることに意味はない。これは、ジャンルごとに閉じがちで出会いの強度も失われた時代に、とんがった人を集める磁場を再生させようとする試みなのだ。ここで重要なのは、文化を育てるには、鑑賞する側も育つ必要があるわけだが、その機能がトーク(批評)企画において働いていることである。

 鑑賞する側だけでなく、運営側も同様な試みをしており、演劇スタッフの育成の際、演劇以外の企画もプロデュースさせた。演劇スタッフ育成を演劇人から解放することは、演劇というジャンルの中にしか参照する世界がない幅の狭さからの解放でもある。

 また、OMSはフォーマットだけは決めたフリーペーパーを発行し、その中で多様なジャンルの記事を掲載する。基準は、芸術系大学の感性のある学生が「これだけは行っておかなきゃ」と思わせるようなものをいかに紹介するかということ。OMSの映画館支配人、雑貨店店長・副店長が芸術大学出身だったため、的確な発信が可能だった。

 企画者・表現者・鑑賞者それぞれから、ジャンルミックスされた幅の広い視野からくる、表現や批評がうまれてくる仕掛けがここにあり、その時代の新しい文化発信としてかたちづくられてきたのである。

[場を維持していく試み 〜SINGLES PROJECTがうまれる〜]

 「扇町Takin’ About」の会場の一つでもあったバー「SINGLES」は音楽好きが集まるサロン空間として機能していたが、主に経済的な理由によりオープンから二年を待たず、二〇〇一年に閉店することになった。景気後退と大資本のチェーン化進行の中、個人がバーを経営していくことが難しくなってきているが、その中にはSINGLESのように多様な人びとをつなぎ合わせるサロン機能を果たしているものも少なくない。その一方で、自分の店を持ちたいと考える人、またそう思いつつも経済的理由や仕事との兼ね合いでそれがかなわないという人も多い。それらの欲求を合わせ持つ有志が集まり、四〇人のマスターが日替わりで店を回していくことで「SINGLES」という場を維持するCommon Bar SINGLESプロジェクトがはじまったのである。登録マスターは年をおうごとに増え、百人をゆうに超える数となった。このプロジェクトは、経済のシステムに乗せることは難しいが、文化的役割を果たしている貴重な空間をいかに維持するかという方法論を模索する第一歩となった。

 二〇〇二年、OMSが施設の老朽化を理由に二〇〇三年に閉館すると発表された。発表後、「扇町Talkin’ About」と「Common Bar SINGLES」の両企画の今後の運営について話し合いがなされた結果、有志により閉館後もこれを「SINGLES PROJECT」として継続していくことが決まった。このプロジェクトは、OMSが一八年かけて続けてきた文化複合の実験の精神を継承しながらも、一人一人のメンバーが経済的に無理をせずに継続可能な企画を立ち上げていくという形をとった。

[起業支援と芸術文化育成が交わる時]

 ところでこの扇町に、クリエイターやマスコミがもともと多いこの町の特徴を活かして、二〇〇三年、大阪市が、スタートアップ期にあるITやクリエイター事業を支援するため、賃料の低いオフィス提供と事業全面バックアップを行う「扇町インキュベーションプラザ(以下メビック扇町)」を設置した。運営は市の外郭団体である財団法人大阪市都市型産業振興センターが行うが、ここが運営する各インキュベーション施設の運営方針がユニークなのだ。行政が設置するこの手の施設の多くは、行政からの出向者でスタッフが占められ、単なるハコモノの貸しオフィスになりがちだ。そうならないため、所長をはじめ、スタッフが全て民間からの採用で一年契約なのである。起業支援の仕事を心からしたいという人しかスタッフにならない。ソフト産業プラザイメディオで成功したこのモデルは大阪産業創造館、メビック扇町とその後に設置される施設に適用された。大阪産業創造館のあきない・えーど初代所長の吉田雅紀氏とこれらをプロデュースしたイメディオ初代所長の富永順三氏が続いて創業・ベンチャー国民フォーラムの起業支援家部門で最高表彰の経済産業大臣賞を受賞したのは偶然ではない。余談だが、富永氏の翌年(二〇〇四年度)同賞を受賞したSOHOしずおかの小出宗昭氏も静岡県のインキュベーション施設を民間出身でプロデュースし、県の予算がほとんどない中で創意工夫して実績をあげていることを見ても、行政施設活性化の成功事例の共通項が分かる。

 さて、これらのインキュベーション施設は、起業・経営の専門家であるインキュベーションマネージャー(以下IM)が必ずいる。だが、メビック扇町が特徴的なのはIMのみならず、クリエイターが異分野の人と出会う場をつくるコラボレーションマネージャーがいる点である。これを務めるのが山納洋氏だ。彼は大阪ガスに勤める一サラリーマンであり、ガス製造の現場を経験した後、子会社へ出向して神戸アートビレッジセンター事業担当を経、OMSでは劇場担当・マネージャーとしてその末期を支え、閉鎖後にメビック扇町でコラボレーションマネージャーとなった。そして、SINGLES PROJECTを核となって企画しているのもこの山納氏なのだ。

 メビック扇町は、大阪市の古い水道局舎の一部を改装した場所にあるため、古めかしい玄関から入っていくが、入居者だけではなく幅広い分野の人びとが集う場となるよう、中にはおしゃれなカフェ風の共用スペースや会議室などがあり、関西でちょっとおもしろい集まりがあると言えば、メビックでやってることが多いというような場所にすでになっている。当然のことながら「扇町Talkin’ About」の会場の一つでもある。メビックの講座やイベントも彼が企画するが、その中で例えば、個々のクリエイターの作品展示を続けながら、そこに素材産業や製造業を呼び寄せてコラボレーションがおこるような仕掛けを組むといった工夫をしている。

 それと同時に、彼個人の活動としてSINGLES PROJECTは続けられている。二〇〇四年には、約二〇坪のスペースを昼間はカフェ、夜はバーとして日替わりのマスターで運営しつつ、ライブや演劇公演や展覧会などを行うプロジェクト、Common Cafeをオープンする。メセナが曲がり角を迎え、行政による芸術文化施策も縮小に向かう中、これからの表現活動は大きな力に支えてもらうことを前提にしていては成立しないのではないか。そんな問題意識から、経済的に自立した形で表現空間を運営し、その空間の「お祭り」としてさまざまなイベントを行うことにより、空間の運営に関わるさまざまな立場の人びとを集めることができる、本当の意味でのパブリックな表現空間たることをめざしている。

 コモンカフェのシステムについて、より詳しく説明しよう。マスターになりたい人は、まず説明会に参加し、一定の技量があると認定されると登録マスターになれる。昼の部はノルマがないかわりに、質の高い昼食メニューを出すことが求められ(手のこった自然食メニューを出すマスターもいる)、夜の部は、ドリンクメニュー(固定)で一万円のノルマを達成すれば、それを超える分については一定割合を店に入れて残りは自身の収益になる。またフーズやスイーツに関しては、独自のものをつくってもよく、それは全て自身の収益に勘定してよい。ノルマが達成できなければ、足りない分は自腹で払うことになる。しかし、自分が何かを表現したいから店に入っているのであって、友達を呼んで一緒に飲めば、そのノルマは実質的にはないようなものである。儲けなくてもいい。何人集客できたかという数値に換算される「結果」は必須のものではない。経済的には換算されない文化活動をできるパブリックな場であることが重要なのだ。だから、自身で映像を流しても演奏をしても詩の朗読会をしてもよい。あるいはマスターの責任でアーティストを呼んできてチャージをとることも可能だ。だが、一つだけ条件がある。カフェは町の中にオープンな形で営業をしている。だからふらりと来たフリーの客を拒むことなく、今日はこういう趣旨でこのような催しをやるがよいか、と説明して、食事や喫茶の営業をきちんと遂行する。食事を終えたら催しの途中で帰っても文句は言わない。ところが、実際はちょっとお茶を飲むだけで入った人たちが、偶然映画上映会に遭遇し、最後まで見入って帰っていくなんてこともままある。カフェの営業というパブリックな行為を媒介することで、自身の表現空間を客体として見る視座も得る。それと同時に、今この場所は自分の場所だと主体的にみることができる場でもあるのだ。まさに「公共性があり経済的に自立する劇場」の実験舞台なのである。

 この実験をさらに敷衍させてみよう。ここで演劇をする際に必要な演劇スタッフも登録制で多数いて、必要な時にプロの(卵の)仕事をリーズナブルに頼める。そんな仕組みがここに加われば、より表現する舞台としてのインフラの質が高まるのではないか。指定管理者制度が導入されて例え運営主体が変わったとしても、この公共ホールの現場スタッフは自分しかできない、というプロ意識があれば、別の運営主体に雇われて同じ仕事を続けられる。そんなインディペンデント・コントラクター(インディペンデント・コントラクター協会の定義によれば、期限付きで専門性の高い仕事を請け負い、雇用契約ではなく業務単位の請負契約を複数の企業と結んで活動する 独立・自立した個人のことをインディペンデント・コントラクター「IC=独立業務請負人」と呼ぶ)的な意識を持つ舞台スタッフも出てきている昨今、こういう仕組みができても不思議ではない。

 自分の店を持つには一千万円の投資がいるという。しかし、ここでの修行を積むのはたったこれだけの負担ででき、カフェで起業したい人にとってはこれとない場である。表現する場が持てない芸術家にとっても、それを見てもらえる場を持てる。自分の知り合い、そしてふらりと来たフリーな客の反応を直接実地で知ることができる。また、普段一日中家にこもって制作をしている芸術家も、たまには店に出て、作品を展示販売しつつ、お茶やお酒を飲みに来る人と会話をすることによって、新たなひらめきや発想が呼びおこされるかもしれない。実際私もこの原稿を書くにあたって山納氏がマスターをする晩にコーヒーとジャスミン茶を飲みながらおしゃべりをし、偶然客として来ていた関西の演劇をメディアに紹介しているフリーライターの女性を紹介され、彼女の鈴木忠志論や関西の小演劇事情を聞くこともできた。カフェというセミパブリックな空間が、出会いの敷居を低くしているのだ。

[偶然の出会いからはじまる創造〜多様な表現のあり方]

 SINGLES PROJECTは、この他にも、いくつもの活動が実践されている。プチ貿易振興事業団は、海外から雑貨を仕入れて輸入販売したい個人が集まっているが、これも事業という観点でとらえるよりは個々人の表現活動をとらえた方が自然かもしれない。六甲山カフェは、中高年ばかりが山登りやハイキングを楽しんでいる中で、茶屋の軒先を借りて、カフェを営業したい若者がコーヒーやケーキを出張販売し、若者も立ち寄りたいようなおしゃれな雰囲気を醸し出す。これは普段なかなかできない世代間のコミュニケーションをする場を形成するという効果もある。ドミトリー計画では、大阪で海外から来るバックパッカーが集まる宿の公共スペースに夜勝手に押しかけていって、異文化コミュニケーションをしつつ英会話の練習もする。一人で英語ばかりしゃべって気が滅入る宿のオーナーの疲れも少なくなり、世界の若い旅行者も大阪にいいイメージを持って帰る。関西では釜ヶ崎のドヤ街の簡易宿泊所にも海外からのバックパッカーが泊まりにいく時代で、あまりいいイメージを持たずに帰る若者もいるというが、大阪のホスピタリティを自ら表現し伝える場としてドミトリー計画も無理ない範囲で継続中である。山納氏は数えきれないほどのこうしたプロジェクトを通して、さまざまな場をつくっており、それこそが彼にとっての表現活動でもあるのだ。

 異分野の人と一つのテーマや場を媒介にしてコミュニケーションする。コミュニケーションはお互いがずれを少しずつ埋める作業でもあり、お互いが少しずつ変わっていくプロセスにこそ醍醐味がある。自分探しやプチ自己表現が大衆の唯一の望みだったとして、それを相対化しようにも、大きな物語が終焉し全ての価値基準が相対化された退屈な時代が自明であるポストモダン世代には難しい作業だ。ところが、そこかしこに自身にちょっとした変化が加わるような異分野とのコミュニケーションの場が形成されている、言い換えればプチ自己表現を試し打ちできるハードとソフトがある世の中ならば、自己表現をしていてもいつまでもニートやフリーターといった社会の負け組の烙印を押されてしまうといった切迫した恐怖の感情も相対化されるのではないか。いつまでも食えない芸術家にとって、こうした試し打ちのフィールドに若い頃から出会えるかどうかは、かなり重要なポイントとなるのかもしれない。たまたまドミトリーで出会った徴兵が終わったばかりの韓国人旅行者から言われた一言があなたの新たな創造を生み出すかもしれない。ここまで書いて、リソースはいくらでも近くに転がっているのに、それを活用してこういう場を積極的に形成し運営する仕組みをつくってこなかったわれわれに、そろそろしっぺ返しが来てもおかしくはないのではないか、と考えこんでしまう私がここにいる。

 さて、関西ではここに来て、劇場整備が急速になされ、映画化される演劇作品も出てくるようになってきた。そんな中でもなおコモンカフェの存在意義は大きい。観客が増えてきた時に自分たちの進んでいる道が正しいのかどうか分からなくなったとする。そんな時に風通しのよい場所で実験ができるとよい。そうした、自身の位置を確認するための「実験劇場」であり「サロン空間」であり「報酬源」でもあるコモンカフェは、表現者がさらに大きな次のステップへ進むためにも必要な場であり、それがあることで関西は表現者として理想の環境がそろっている所だと言えるのである。

 最後になるが、これらの企画をほぼ一人でプロデュースし続けてきた山納氏は、今年限りでSINGLES PROJECTを打ち止めにし、次の試みに軸足を移す予定である。それに先立ち、これまでのプロジェクトを一冊の本にまとめ、近く西日本出版社から上梓することになっている。メセナ・公共事業に頼るという発想を捨てた時に何ができるか。近い将来捨てざるをえない時期が来ると感じている人たちに是非読んでいただきたい。

参考資料など:山納洋、「扇町ミュージアムスクエア(OMS)について」。山納洋、「SINGLES PROJECTについて」。コモンカフェに置いてある各種資料および出会った人びと。SINGLES PROJECTウェブサイト

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